宗教や信仰とは何か
宗教や信仰と聞くと、人によっては下記のような疑問が出てくるかもしれません。
「そんなものを信じて何になるのか?」
「心の弱い人が信仰するものだ。」
「嘘くさい。」
「あやしい・・・。」等々
宗教団体と一言でいっても様々な団体がありますので、このように思う人がいても無理はないでしょう。実際に、よくわからない団体が数多くあるのも事実です。生長の家は宗教であり、信仰でもありますので、はじめに上記のような疑問や不安を解消してまいりましょう。
まず、宗教や信仰というのは、人間が生きる上で非常に重要な役割を持っています。この役割は、自分の人生の最も根本的な役割を果たすものです。簡単にいえば、間違った信仰を持てば間違った人生になり、良き信仰を持てば良き人生になります。意識をするしないにかかわらず、人生の進む方向を決めてしまうのが「宗教や信仰」なのです。
もちろん、世の中には「私は無宗教だ」という人が少なくはありません。しかしながら、神や仏を信じなくても、何かしら信じているものがあります。それは、自分自身であったり、生まれ育った環境の中で学んだ「常識」であったりするでしょう。つまり、人は何らかの精神的な信仰を持っているわけです。
そして、多くの場合、無宗教の人は神仏を信じるのではなく、常識を信じています。いわば常識信仰といってもよいかもしれません。世間一般の考え方を自分の根本において、その常識を信仰しているわけです。自分自身の考えを信じているという方も、この世間一般の考え方がベースになっています。
したがって、別の角度から自分自身の信念を確立していない限り、常識信仰の進む方向や人類の業にしたがって、人生を進めていくことになるのです。
常識だけでは解決しない問題がある
当然ですが、常識は社会を生きていく上で必要なものです。常識外れでは、人生に困ってしまうことでしょう。ところが、この「常識」だけを信じて生きていると、本当の意味で幸せな人生を得ることはできません。常識だけで考えても解決できないことが、世の中には山ほどあるからです。
例えば、
「人はなぜ生きるのだろうか」
「この世界はどうしてあるのだろう」
「そもそも、人間って何?」
「世界はどうしたら平和になるのか」
上記のような質問に対して、世間一般の考えでは、明確な答えを出してくれません。
人間にとって最も大事で根本的な問題が、常識ではハッキリとしないのです。こういった問題に対して明確な答えがない場合、様々な考え方が混じり、よくわからない思想が自分の根本となってしまいます。
もちろん、それはそれで幸せだという考え方もありますが、どこかあきらめた感じがあるのは否めません。自分自身が生まれた意味すら分からずに、そのまま人生を終えてよいものなのでしょうか。また、より幸せになるための人生の法則を知らずに、悩み苦しんだままの状態でよいのでしょうか。
そこで必要になるのが「善い教え」や「良い信仰」です。
「人生の意義や目的がはっきりとわかる。」
「人格を向上させ、人々を幸せにしてくれる。」
「より平和な世界を実現してくれる。」
このような善い教えに触れ、良い信仰をもてば、人生を幸せな方向に進め、常識だけで流されていく生き方から抜け出すことができます。そして、その良き信仰のとおりに善き習慣が生みだされ、より幸せな人生を歩むことができるというわけです。
ここで気になるのは、「生長の家の教え」が「善い教え」かどうかですが、これは当サイトの他の情報や書籍を読んだ上でご判断ください。
当サイトの情報を読んで、生長の家の教えに少しでも興味を持たれた方は、ぜひ月刊誌や書籍をお読みいただければ幸いです。生長の家青年会は、一人でも多くの方に「人間・神の子」の教えを深く知っていただき、人生の根本問題への答えを見つけてもらいたいと願っております。
繰り返しになりますが、どんな人でも心で何かを信じています。そして、その信じる方向に人は進んでいくのです。人生で最も大切なのは、「何を信じて生きるか」にかかっています。皆様が幸せな信仰を持たれますように、心からお祈り申し上げます。