私は、生長の家を信仰する家庭に生まれ育ち、小さい頃は母に連れられて、生命学園に通っていました。小学5年のときに母が精神的に変調をきたすようになり、以前まで明るかった家庭も暗い雰囲気に包まれました。私は学校から家に帰ることがとても嫌で仕方ありませんでした。そのような日々が続く中、高校1年の時に、母は心臓の病で亡くなりました。
母が亡くなってからは、父が家事をするようになり、私も少しでも負担をかけないようにと、できる限り、自分のことは自分でするようにしました。高校卒業後、東京の大学に進学し、一人暮らしを始めました。大学では、WEBデザインなどについて勉強していましたが、成績は振るわず、次第に気持ちも落ち込み、2年生に進級してからは学校に足が向かなくなりました。その頃には、友人とも疎遠になり、深夜のアルバイトが中心の生活になっていました。心配をかけたくないという思いがあったので、そんな生活をしていることは父に告げることができませんでした。しかし、留年を通知する書類が実家に届き、父の知るところになりました。私は、父から厳しく叱られ、「頑張ります」と言ったものの、学校に行く意欲は全くありませんでした。
その後も学校へ出ることはなく、やがて、大学の事務局から呼び出され、続ける意思があるのか確認されましたが、勉強する意欲なんて消え失せていた私は、家族に相談することもなく中退を決めました。そのことを父に知られたくない一心で、居場所がばれないよう、別のアパートにこっそりと引っ越し、携帯電話の電源も切りました。「もうどうすることもできない。行くところまで行って、お金が尽きたら、その時は死ぬしかない。」と思っていました。最初のひと月は、アルバイトで生計を立てていましたが、やがてアルバイトすらやる気がなくなり、生活をやり直そうにも、どうすればよいのか分からなくなっていました。生きていても仕方なく思えて、目的もなく、フラフラと過ごしていました。
3か月ほど経ち、深夜、空き事務所の前で雨宿りしていた時に警察官から職務質問を受け、警察署に連れていかれました。その時分かったことですが、私が失踪してから、父はすぐに警察に捜索願を出していたということでした。翌朝、警察から連絡を受けた父と祖母が慌てて迎えに来ました。私は二人の顔を見るなり頭を下げ、叱られることを覚悟しました。しかし、父からの言葉は意外なものでした。「プレッシャーを与えて、すまなかった。もっと話を聞いてあげればよかった。ごめんね。」その言葉を聞いて、私は涙があふれました。そして、今まで心配をかけた事を反省し、やり直すことを誓いました。
こうして実家に戻ってきた私に、父は生長の家宇治別格本山の練成会への参加を勧めてくれました。父自身も私の失踪中、宇治の練成会に参加し、心境が変わり、私を発見することができたことを話してくれました。私は、この先どうすればよいのか分からず、反省の意味も含めて行くしかないと思いました。
宇治での練成会はとても新鮮なものでした。私が受けた練成会には、同世代の人たちが多数参加しており、親しくなった方から「真理を理屈で考えるのではなく、ただ行ずればよい」とアドバイスをもらい、その後の練成会を素直な気持ちで受けました。浄心行の時には、父に今までたくさん心配かけたことを詫びました。両親への感謝の大切さを知り、今日まで育てていただいた親へのありがたさを感じました。また、母に流産児がいたことを知っていたので、供養することにしました。
練成会から帰宅後、父を早く安心させたいという思いから、アルバイトを始め、さらに、静岡教区の青年会活動に参加するようになりました。就職活動も始めましたが、なかなか思うようにいきませんでした。しかし、練成会で学んだことを信じ、神想観をしたり、家族と一緒に聖経をあげたり、すでに就職先が見つかった姿を心に描きました。
とある会社の面接をうけた帰り道、私は教化部に寄ることにしました。講習会が間近に迫っており、いつも仲間が祈っている姿を見ていたので、私も祈らせてもらおうと思いました。
それまで自分から祈ったことはありませんでしたが、1人で祈りの間で祈っていると、心の内から何とも言えない温かいものが湧きあがってくるのを感じ、自分のことばかりに囚われて、人に迷惑かけてきた自分でしたが、ただ素直に人の幸せのために祈っていることに私自身驚きました。その後、講習会が終了した翌日、その時に面接を受けた会社より採用の連絡を頂きました。
この体験が転機となり、私は人のために祈ること、愛を表現することの素晴らしさを実感し、ますます青年会活動に熱心に励むようになりました。すると、人生を大きく展開させる出来事が起こりました。青年会では、青少年育成の担当となり、青少年練成会での子どもたちのお世話を通して、真理をお伝えする使命に喜びを感じ、子どもたちの力になりたいという思いが強くなっていきました。そして、育成活動に携わっていく中で、同じ育成の担当であった現在の妻と出会い、平成26年に結婚しました。
私は現在、教区青年会委員長を拝命させていただいています。誰もが楽しんで活動できることを意識して、活動に励んでおります。現在は、菜園をやったことがない方、やりたいけど個人でなかなか出来ないという方のために、青年会の仲間とともに、オーガニック菜園を取り組んでおります。菜園では、多くの発見があり、仲間も心から楽しんで活動しております。自分で育てた野菜は、とても愛着がわき、身の回りの自然をより身近に感じるようになりました。毎日の食事も、食材への感謝の気持ちが強くなり、買い物においても、環境への負荷が少ない物を選ぶ意識が芽生えました。今後も人の幸せを祈り、日々の生活の中に真理を生かし、活動に邁進してまいります。