真の豊かさを得るための秘訣とは
皆さんは、こんな寓話を聞いたことがあるでしょうか。
ある裕福な国に、一人の賢い王子がいました。
この王子が欲しいものは、どんなものでも手に入るような裕福な国でした。
服飾でも、美味しいご馳走でも、千里を走る駿馬さえも手に入れることができるにも関わらず、王子は何が不足なのか、幸福ではありませんでした。
そんな王子の姿を見かねた王様は、「王子を幸せにする術を教えよ。褒美はいくらでも出そう。」といって、国中に呼び掛けました。
あるとき、一人の魔法使いが王子のもとを訪れました。
そして、一枚の真っ白な紙を差し出して、こう言い残して姿を消しました。
「この紙をろうそくの火であぶってみよ」
王子が紙を火であぶると、そこには一言こう書いてありました。
「毎日一回は必ず人に深切をせよ」
それを実行した王子はその日から、国で一番の幸せものになったのです。
ここに真の豊かさ、本当の幸せを得るための秘訣があります。
人間はどれほど金銭的、物質的に豊かな生活をしていても、誰かの幸福に貢献しない限り、決して自分が幸福を感じることはできないのです。
生長の家では、「神想観」「聖経読誦・聖典拝読」「愛行」という3つの習慣、「三正行(さんしょうぎょう)」をおすすめしています。
「神想観」「聖経読誦・聖典拝読」については別のページで詳述しましたので、どうぞご覧ください。
この二つは、生長の家で説く「人間・神の子※」の真理について、主に心や頭の中で探求する習慣です。
※人間・神の子の真理⇨人間は本来、無限の可能性を持った素晴らしい存在であるという真理
真理を深く理解するためには、これらの習慣が重要で欠かせないことですが、それだけでは、一人の人間の頭の中の活動に留まってしまいます。
しかし、真の豊かさや幸福を得るためには、それだけでは足りません。
そこには必ず「愛行」が必要となるのです。
生長の家総裁・谷口雅宣先生は、次のように説かれています。
三正行の三番目は「愛行」です。これは、前の二つが主として“心の中”“頭の中”で行われる真理探究ですが、それだけでは、一人の人間の頭の中の活動に留まってしまう。それだけでは足りないから、“頭の外”ーーつまり他者に向かって身体全体を使って愛の行をしましょうということです。他者に対して愛を行じれば、相手が喜んでくれますから、「自分」を超えた真理の広がりを実感できるのです。人間は孤立した存在ではなく、他者との交流や一体感の中に本当の人間の喜びや存在の意義があるーーそれを頭で理解するだけでは不完全で、実際に体験することによってより深く「実相を観る」ことができる。これによって我々の認識が“深まる”と同時に“広がる”ことになるわけです。
(『生長の家ってどんな教え?問答有用、生長の家講習会』谷口雅宣先生著)
与えたもののみ与えられる
このように他者に対して愛を与える行いは、他者との交流や一体感を生み出します。
そしてそれは、「本来自分と他者とが神様において一体である」という真理を体得することにつながります。
ご存知のように、人間は自分一人では生きられません。自分一人で生きているように思っても、多くの人やものに助けられて生きています。そして、何より、私たちは周りが喜ぶことを実践していくことで、心の底からの幸せを感じ、本当の豊かさを手に入れることができる存在です。
この本当の豊かさを手にするための「たった一つの方法」が、「愛行」なのです。
私たちの生きる世界には、たくさんの法則があります。
万有引力の法則に始まり、同類親和の心の法則など、様々な法則が存在するものです。
その中に「与えたもののみ与えられる」という法則が存在します。
言葉のとおり、他に愛を与えたものは愛され、他に深切を与えたものは深切にされるのです。
生長の家創始者・谷口雅春先生は次のように説かれています。
「愛されたい」と思う前に、みずから人々を愛せよ。愛を行え。愛を与えたときに愛は自分に返って来るのである。空気は肺臓からそれを呼出(こしゅつ)さえすれば、自然に吸気の作用(はたらき)が起こって新しき空気が肺臓の中に供給せられ、健康に必要な酸素等の成分が吸収されるのである。もし空気を“出して与える”ことを吝(おし)んで、息を出さなかったら新しき空気は自分の肺臓に流れ入ることができず、その人は窒息してしまうのである。
(『如意自在の生活365章』谷口雅春先生著)
まず「自分から与える」ことが大切だということです。
愛行には、相手を幸せにするだけでなく、自分自身を幸せにし、豊かにするための原理が働いています。
愛行の種類
さて、いざ愛行しようと思っても、何からすれば良いのでしょうか。
結論をいえば、どんなことでも、相手が幸せになることをすれば良いのです。
もちろん、誰かや何かに迷惑をかけながら、特定の人だけを喜ばせるようなやり方は良くありません。全体の幸せを考えて、周りの人やものが幸せになる行動をとれば良いのです。
仏教には「法施(ほうせ)」と「物施(ぶっせ)」という言葉があります。
「施」というのは、「ほどこし」のこと。何かを与えること、つまり愛行のことです。
「法施」は、「真理を与える」ということを意味します。
例えば、あなたが生長の家の教えに感動し、この教えを誰かにお伝えしたとすれば、それは法施になります。
真理の言葉をお伝えするということは、相手を本当に幸福にすることですから、最高の愛行であるといえます。
この「法施」は非常に重要なものですが、「物施」も必要です。
物施は単純に考えると、「物を与える」という愛行のことですが、もう少し広い意味があります。お金に困っている人に、お金を与えること。お腹がペコペコで苦しんでいる人に、食べ物を与えることも物施です。
環境保全の取り組みや、肉食をしないノーミートの活動も、将来の人々の幸福につながり、動物の生命を尊重することになるため、とても重要な物施となります。
法施と物施のどちらも行っていくことが大切です。
また、愛行には、もっと身近なことで、今すぐ誰にでもできることが沢山あります。
笑顔で挨拶すること。
悩んでいる人に優しい励ましの言葉をかけること。
近所のゴミ拾いをすること、等々。
あなたにも、あなたのいる場所で、今すぐ愛行をすることができるのです。
あなた自身や周囲の人、大きくは世界中の人や、動物までも幸福にする「愛行」。
あなたの足元から始めてみませんか。