生長の家の基本教義が知りたい ―「唯心所現」編―
生長の家の基本的な教えは、以下の3つの四字熟語で表現することができます。
・唯神実相
・唯心所現
・万教帰一
たった4文字で難解な教義の神髄を表現できるのですから、日本語はとっても便利なものです。
しかも、一文字ずつ意味を追って読んでみると、何となく意味が分かる気がします。
ここでは、2つ目の「唯心所現」について、詳しく説明していきましょう。
1.唯心所現とは
「唯心所現」は、「ゆいしんしょげん」と読みます。
文字通りの意味としては、“現象の世界”は「唯、自分の心が現した所のものである」ということです。心で認めたことが、現象として現れるという意味で、別の言い方をすれば、「心の法則」ともいいます。
例えるなら、お中元です。
お中元の内容は、「心の現れである」といえます。お世話になった人に贈り物をするわけですが、その中でも恩があるような大事な人には、心を込めて、あるいはお金をかけて、品物を選ぶと思います。
贈る相手によって「心」が変わるから、それに応じたお中元になるのです。つまり、心で認めたものが現象としてあらわれています。
これは、私たちの人生でも同じです。「心で認めた人生」が目の前にあらわれています。
これを説明するために、心の法則の別の例を挙げてみましょう。
昔の人は、心の法則を直感的に把握して、「ことわざ」として残してくれています。
例えば、「笑う門には福来る」という「ことわざ」があります。
これは、笑って喜んでいれば、よろこび事や幸せなことが自然に集まってくるという意味です。
反対の側面から見た「ことわざ」では、「泣きっ面に蜂」というものもあります。
嘆いている人に災いごとが集まってくる例えです。
共通して言えることは、「類は類をもって集まる」ということです。
自分の心の傾向に合わせて、心の波長に合ったものが集まってきます。
そのため、幸せになりたかったら、先に「喜ぶこと」「感謝すること」が大切です。
心が喜びの方向に向いていれば、目の前にあらわれる現象も整い、よろこばしいことが集まってくるのです。
人生では心で認めたものがあらわれ、心の波長に合ったものが集まってくるのですから、「自分の本質が一体何であるか」を知り、「自分自身を心でどう認めているのか」ということが、とても大切になるのです。
「人間はサルの進化した存在である」と思っていれば、ケダモノと同じように、本能のままに、ただ欲望を満たす生き方になるのも無理はありません。
しかし、「人間は肉体ではなく、“神の子”であり、霊的実在である。」・「神の持ち給える“あらゆる善きものの継承者”である」との自覚に入れば、心は満たされ、感謝と喜びでいっぱいの生き方になることでしょう。
そうなれば、あらゆるものと調和した関係になり、求めるものが与えられ、繁栄して豊かになり、幸福にならざるを得ないのです。
2.人間の複雑な心の構造~「現在意識」と「潜在意識」とは?~
現象が心の表現であるならば、「人はなぜ平和を望んでいるのに、戦争が無くならないのか?」
そういう疑問を持たれる人がいるかもしれません。
これは、人間の心が非常に複雑な構造をしているために起きる問題です。
人間の心を大きく分ければ、2層に分けることができます。
それが「潜在意識」と「現在意識」です。
この「現在意識」と「潜在意識」は、「氷山」に喩えることができます。
ご覧の画像のとおり、氷は水より比重が軽いので水に浮きます。
この水面より上に出ている部分を「現在意識」、沈んでいる部分を「潜在意識」とします。
氷山の水面の上はよく見えますが、ごく一部分だけです。一方、水面下には大半の領域を占める部分があり、海に隠れて見えません。
「現在意識」は、この水面上に出ている部分なので、「自分でよく分かる自分の心」です。この「現在意識」は人間の心のごく一部分であり、5~10パーセントくらいを占めるといわれています。
一方、下の領域にある「潜在意識」は、水面下で見えなくても人間の心の90~95パーセントを占めているのです。一言で人間の心といっても、自分の意識の及ばないところにも心が広がっていて、このような「自分の理解できない自分の心」があります。
例えば、寝ている間に夢を見ると、知らない場所に行ったり、知らない人と出会ったりしますが、目が覚めればほとんどの事は忘れてしまいます。このように、夢を見ているときの心の領域も「潜在意識」であり、見えない心の一つです。
意識の下に潜っている心なので、心理学では「潜在意識」と呼び、「無意識」と呼ぶこともあります。
「唯心所現」が示しているのは、この「現在意識」と「潜在意識」を含めて、心で思うことが現象として現れるということです。
たとえ、「現在意識」では忘れてしまったようなことでも、広大な領域をもつ「潜在意識」の中には、すべて蓄積されています。
小さいころの思い出は忘れてしまっているように見えても、当時と同じ場所に行き、同じ光景を見ることで、ふと思い出すことがあると思います。
これは、「潜在意識」にしっかりと蓄積されていたからです。
さて、それでは「人はなぜ平和を望んでいるのに、戦争が無くならないのか?」という疑問を具体的に考えてみましょう。
先ほどまで書いてきた「現在意識」と「潜在意識」は、すべての人間の心に当てはまります。一人の人間だけではなく、あらゆる人がこれらの意識を持っているわけです。
この意識は、日本人であれば、日本文化を共有した意識があり、外国の方であればその外国文化を共有した意識で生活しています。
そして、これらの意識が集まって「人類意識」となり、この全体の人類意識が世界を動かしているのです。
そうなると当然、平和を望む意識の数よりも、戦争を起こす意識が多ければ戦争はなくなりません。
また、人類の現在の意識が平和を望んでいても、潜在的に隠れている意識が戦争を望んでいれば、戦争が起きてしまうわけです。
したがって、この世界から戦争をなくすためには、私たち人間の心を潜在意識の奥底から平和にして、より多くの人々に平和を願ってもらう必要があります。
生長の家では、この人類意識の奥底に平和の想念を広げるため、「世界平和の祈り」という祈りをおすすめしているところです。
3.運命を好転させるにはコトバの力を駆使する
さて、ここからは、今まで読んできた「心の法則」をどのように生かしたらよいかについての話です。
私たちの運命を改善するためには、具体的にどうすればよいのでしょうか?
その答えは、コトバの力を駆使することです。
ここまで学んできた「心」は、「コトバ」で動かすことができます。
生長の家で「コトバ」とカタカナで書くときには、以下の3つの意味を含んでいます。
①行動で表現する ・・・「身(しん)」
②発声音で表現する・・・「口(く)」
③心の中で思う ・・・「意(い)」
私たちが現在意識で普段から使っている「身」・「口」・「意」の三つのコトバは、その一つ一つが心の潜在意識に蓄積されて、私たちの運命を形づくります。
したがって、「心の中で何を思うか」
「口からどんな言葉を発するのか」
「行動や表情でどのような表現をするのか」
これらのコトバの使い方がとても大切なのです。
簡単に表現すると、良いコトバを使えば良い人生になり、悪しきコトバを使えば悪しき運命を辿ります。この生長の家で説くこの「コトバの力」は、巷にあるポジティブ・シンキングとは明らかに違うところがあります。
それは、「人間は神の子である」という信仰と、その自覚が基本になるところです。私たちは本質において神の子ですから、その自覚に応じてコトバの力を駆使し、本来のすばらしさを表現することができます。
人間の本質は絶対の善であるという「唯神実相の信仰」があって、はじめて生きてくるのが「心の法則」なのです。
したがって、心の法則を生かして、人生を自由自在に組み立てていくためには、「人間・神の子」の自覚を深めることが必要になります。
この自覚を深めるには、生長の家の月刊誌や書籍に書かれてある真理の言葉を読んだり、行事に参加して学んだり、三正行(リンク)などの実践行を行うことがおすすめです。
以上、「心の法則をどのように生かすか」という話を進めてまいりました。
すでに書いてきたとおり、私たちは、心で表現したところの人生を送っているのです。決して、初めから「与えられた人生」や「動かしがたい人生」を送っているのではありません。
私たちは正しいコトバを選ぶことによって、悦びの人生を歩むことができます。刻一刻と選択をしながら、人生を創りつつあるのです。
つまり、生長の家の説く「唯心所現の世界」では、一人一人が「人生の創造者」であるということになります。ぜひ、「心の法則」を生かして、明るく有意義な人生を創り出していきましょう。
それでは、これで生長の家の基本教義の2つ目である「唯心所現」の説明を終わりまして、3つ目となる「万教帰一の真理」について説明いたします。
生長の家の基本教義をもっと詳しく知りたい方は、以下の書籍がおすすめです。
『生長の家ってどんな教え?』
唯心所現(ゆいしんしょげん)
「唯心所現」とは、この現象世界は人間の心によって作り出している世界であるという教えを表現しています。唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、発声音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのです。唯心所現の法則は厳密かつ公平であり、悪いコトバを使えば、悪い世界が現象世界に現れてしまいます。従って善い世界を実現させようと思うなら、実相世界の善きコトバ、神様の御徳である、智慧・愛・生命をコトバで表現すればよいことになります。
(生長の家公式サイトより)