生長の家の基本教義が知りたい ―「唯神実相」編―
生長の家の基本的な教えは、以下の3つの四字熟語で表現することができます。
・唯神実相
・唯心所現
・万教帰一
たった4文字で難解な教義の神髄を表現できるのですから、日本語はとっても便利なものです。
しかも、一文字ずつ意味を追って読んでみると、何となく意味が分かる気がします。
ここでは、3つ目の「万教帰一」について、詳しく説明していきましょう。
1.万教帰一とは
「万教帰一」は、「ばんきょう きいつ」と読みます。
文字通りの意味としては、「万(よろず)の教えは一つに帰る」ということです。
万の教えとは、あらゆる宗教の教えを指します。
ここから連想して、「生長の家はすべての教えをみんな生長の家にしようとしている」
そんな“宗教統一運動”だと誤解される方がいるかもしれません。
しかし、生長の家の考え方は、全く逆の考え方です。
むしろ、各宗教の文化的特性を尊重する運動といえます。
「万教帰一」という言葉は後ろから前に読んで、「一」の教えから「万」の教えに発展したと考えるのです。
2.宗教目玉焼き理論
万教帰一の考え方では、世の中にはさまざまな宗教があって別々に見えていますが、それらは、文化、民族、時代の背景の違いによって、表現が異なってあらわれているということになります。
そして、表現が異なる様々な教えがあっても、「宗教の神髄である真理は一つである」と考えるのです。
この考え方は、目玉焼きに喩えることができます。
目玉焼きには、中心にある黄身の部分と、その周縁にある白身の部分があります。
この中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。中心に据えるべきものは共通する一つの真理です。一方、周縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えるのです。
世界の各宗教が、中心部分(黄身)で共通している真理を認めることができれば、周縁部分(白身)の違いに注目するのではなく、多様性をお互いに認め合うことができます。
3.「真理」とはどういうことを指すのか?
なぜ、各宗教の中心部分が共通していると言えるのでしょうか。
それは、宗教が「真理」を説くものだからです。
もし、宗教の真理がたくさんあって、相互に矛盾するのであれば、それは真理とは呼べないものだといえます。これは、物理学や数学の「真理」が、いつの時代でも、どんな国でも「一つ」であるのと同じです。
例えば、「万有引力の法則」は、地球のあらゆる場所で通用します。ニュートンが生まれる以前から存在し、これから先も、未来永劫変わることなき「法則」です。
この「万有引力の法則」が世界の各地で説かれるとき、各国の文化や伝統を通じて、それぞれの国で少しずつ違う説き方がされることでしょう。
たとえば、日本の学校で学ぶ場合には日本語で説明し、学年に合わせた説明の仕方をします。また、相手の年代や文化に合わせた例をもって、なるべくわかりやすいように説明を尽くすはずです。
物理学や数学などの「純粋科学」では、常識的にこうしたことが行われています。
ところが、こと宗教になると、「数多くの真理が存在する」と考える傾向があります。
キリスト教が説く真理と、仏教が説く真理と、イスラームの説く真理とは、それぞれが別々のことだと理解する人が多いのです。
こういう理解が広がると、国境を超えたら別の真理があるように錯覚することがあります。
イスラームの女性が「ブルカ」を着用する習慣などは典型的な例です。豚や牛などを食べない習慣なども、国によって様々なものがあります。
このように、国や宗教によって別々の規則や戒律があることで、「教えが違うから」、「真理が違うから」と考える傾向にあるのです。
しかし、これを突き詰めれば「宗教は真理を説いていない」ということになってしまいます。
なぜなら、「真理」とは、時間的、空間的な移動によっても変わらないものであるからです。真理が宗教によって変わってしまうのであれば、それは本当の意味での真理とは言えません。
したがって、上記のような宗教の戒律や規則の違いは、単に文化の違い、習慣の違いでしかないのです。
それを真理と混同して、他人に強制するところに問題が出てきます。数多くの真理が存在するのではなく、数多くの文化や習慣が存在するのです。
そして、この世界に真理が存在するとすれば、それは一つである必要があります。
4.生長の家が目指していること
生長の家では、「万教帰一」を説いて、「真理は一つである」ということを強調しています。
なぜ、世界にこれほど多くの宗教があるかといえば、それは、「真理そのもの」が数多くあるのではなく、「真理の表現」が多様に展開しているからなのです。
世界には多様な自然環境があり、そこで生活する人々は、それぞれ独自の文化を継承してきました。
宗教の教えはそうした文化を通じて説かれ、その土地の自然環境や文化・習慣に合致するように説かれて、人々の生活を支えてきたのです。
そして、それぞれの言語を介して発展し、仏典や聖書、コーランなどの教典が編纂されてきました。
そのため、「真理そのもの」は一つであっても、多様な環境の中で、多様な生き方をする人に受け入れられるために、「真理の表現」は多様に展開していく必要があったのです。
しかし、21世紀の現代は、国際化、グローバリゼーションの時代で、地球上のすべての人々の意識が“統一”に向かっています。
そんな中で、多様にあらわれた「真理の表現」の違いに注目して、その違いを強調していけば、宗教間の争いが生まれてしまうわけです。
生長の家は、この多様にあらわれた各宗教の中に「共通点」を見出し、さらにその共通点と「一つの真理」との関係を明らかにしています。
多くの宗教が「一つの真理」を認めあうことができれば、宗教間の対立は解消され、共存の道が開けると考えているのです。
5.真理への道はただ一つ「人間は神の子だ」ということである
では、「一つの真理」とは、一体何なのでしょうか?
この答えを一言でいえば、「人間は神の子である」ということです。
実に簡単な一言になりますが、根本的な真理です。
「他の宗教はそんなことを説いていない」と言われるかもしれませんが、仏教でもキリスト教でも、「人間は神の子である」という真理を説いています。
もちろん、それぞれの宗教で言葉の表現は違います。しかし、神髄において同じ真理を説いているのです。
ここでは、詳しく説明しませんが、万教帰一の教えは、キリスト教や仏教などの共通点を明らかにしています。
これらの宗教の神髄を詳しく知りたい方は、ぜひ書籍をお求めください。きっと、これまでに考えたこともなかったような宗教観や世界観が広がることでしょう。
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万教帰一(ばんきょうきいつ))
「万教帰一」とは、万(よろず)の教えを一つ(生長の家)にするという意味ではありません。これは後ろから読んで、一つの教えが万の教えとして展開していると説いています。宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も文化的な違いが現れているからだと言えます。目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。一方、周縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいでしょう。世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。
(生長の家公式サイトより)