「何のために働くか判らない」そんな悩みを聞くことがあります。ふと、ひらめいて決めた、看護師の仕事。「私の使命って何?」そんな疑問が、心の何処かにあり、かける言葉がありませんでした。しかし、ある日を境に、それがハッキリわかるようになったのです。
2016年4月14日、16日に発生した熊本地震。私は益城町の実家で被災しました。
益城町は、県内でも最も被害の大きかった地域の1つです。幸い、私の実家がある地区は、比較的被害が少なかったのですが、わずか2km先は、活断層が走っていて、道路や道の両脇の家が崩れていました。
本震のあと、家族とともに避難し、車の中で寝泊まりしました。立て続けに起こる大きな余震で、自宅は断水が続き、家具が倒れたりして、危険を感じたからです。
私は熊本市内の病院で看護師として働いています。本震のあと、まだ夜も明けないうちに勤務先から、緊急招集がかかりました。「また何かあったらどうするの!?危ないから行かんでいいよ!!」と、両親には引き留められましたが、すぐに病院へ向かい、外来の救護活動に加わりました。
病院も被災し、窓ガラスが割れたり、一部、停電していましたが、災害拠点病院であったため、急遽、廊下に救護エリアが開設され、次々に患者さんたちが運ばれてきました。家具の下敷きになり、骨折した人。心肺停止で心臓マッサージを受けながら運ばれてくる人。私たちは、必死に処置を行いました。
震災の数日後に、熊本県教化部では、炊き出しが始まりました。
連絡を受けた私は、直ぐに駆けつけました。
教化部は断水こそしていたものの、信徒さんからの支援物資も集まっていたため、それを使って、カレーライスなどをつくり、周辺住民の方々に、提供することができました。
「こがん美味しかとば食べれると思わんかった。ありがと〜。」
普段は関わりのない方からも、たくさんの感謝の言葉と笑顔を頂きとても感動しました。
被災してもなお無事に生かされている事のありがたさを感じ、「自分より大変な人がいる。とにかく、やらなくちゃ」という使命感に掻き立てられていました。
そして、居てもたってもいられなくなり、休みの日に1人、益城町のボランティアセンターに行きました。その後、青年会の仲間を誘ってボランティアに参加しました。
震災を経験して、身をもって感じたことがあります。心の底から湧き上がってきた感情――それは、「他へ愛を与えたい」「誰かの役に立ちたい」という思いでした。自然災害は出来れば起きて欲しくないことです。しかし、それは、「愛」を出すチャンスでもあります。
みなさんは、いざというときの心の準備、できていますか?目の前の困っている人に、手を差し伸べましょう!内なる神のいのちを表現したとき、そこに本当の喜びが、きっと訪れます。それを実行したお陰で、私は今、看護師という仕事を「目の前の方に愛を与えることができる」素晴らしい仕事だと、使命感を持って、働くことができるようになりました。